指導方針



【概要】

東大現代文を解くために鍛えるべきは考える技術、すなわち「思考力」であることを前のページで説明しました。

それでは、どういうトレーニングを積めば思考力を高められるのでしょうか?

受験生が抱える隠れた「課題」を明るみに出し、 国語力を東大レベルまで引き上げる「成功の鍵」は一体どこにあるのでしょうか?

その答えとして、わたしが指導の柱に据えているふたつの方針を紹介します。



【目次】

指導方針 1. 
受講生の思考力を一緒に「分析」する

  • 現代文はなんで勉強しにくいのか?
  • 現代文をもっと勉強しやすくするには?
  • 自分の思考の「アナリスト」たれ


指導方針 2. 
対話や討論を重視する

  • 講義のクオリティは国語力向上のKSFではない
  • 高度な思考力の育成に成功しているところは?

指導方針 1.

受講生の

思考力を一緒に

「分析」する


分析 = 物事をいくつかの要素に分け、    
その要素・成分・構成などを        
細かい点まではっきりさせること
(Oxford Languages)

現代文はなんで

勉強しにくいのか?


東大の過去問にチャレンジしたものの、解ききれず、失敗原因を探っている場面を想像してみましょう。

・数学なら、たいていは公式や解法、式の解釈や処理などの問題に行き着くでしょう。解けなかったことはくやしいけれど、ひとまずスッキリするはずです。

・英語なら、語彙や例文の暗記、構文把握などに課題が見つかることが多いでしょうか。文章読解自体のレベルはネイティブなら賢い中学生程度のものですから、解説を読んでもモヤモヤするということは滅多にないはずです。

教科の学習においては、このようにピンポイントで課題が見つかるのが普通です。
たどり着くべきゴールも、その途中の道筋も決まっているのですから。

でも、現代文の場合、往々にしてそううまくはいきません。一体、なぜでしょうか?


それは、大きな問題を大きなまま捌こうとするからです。

その結果、


・論理展開を正確に追って、筆者の主張のポイントをおさえよう

だとか、


・重要な点とそうではない点をふるいにかけて、解答に盛り込む要素を厳選しよう

などといった曖昧な反省に行き着くのですが、これではただの精神論です。「がんばろう!」と言っているのと大差ありません。


なぜなら、なんら具体的なアクションに結びつかないから。次から何をどうしたらいいのか、まったく見えてこないからです。

現代文をもっと

勉強しやすくするには?


ここまでの議論で、現代文学習のひとつのポイントがほとんど明白になったと思います。


それは、思考プロセスを「分析」すること。

設問から解答までの道のり、「問いと答えの間」をこまかなステップに分解する。


そうやって、自分がどの手順を踏み損ねたのかはっきりさせることです。




わたしの最初の仕事は、設問理解から解答作成までの手順をこまかく砕いてみせること。

そして、ひとつ一つのステップで
・あなたはどう考えて答案を書いたのか?
・本当はどう考えたらよかったのか?
と問いかけることです。

問いかけをうけて、受講生のアタマが回り出します。自分の思考の足りない点がだんだんとハッキリした輪郭をともなってきます。

それを、対面セッションでわたしに向けてプレゼンする。言語化できる解像度で、自分の課題をとらえる。

さらに、そこからディスカッションを重ねます。わたしがどう考えたのかも共有し、考えの相違があれば、そこを起点にあらたなディスカッションが始まります。



対話や討論をまじえながら自分の思考を「分析」することで、どの部分に伸びしろがあるのか気づきます。


そして、次からどう改善していけばよいかをハッキリと見出すことができるのです。

自分の思考の

「アナリスト」たれ


このような方針で指導をしていく上で、ひとつ大きな懸念があります。

それは、おそらく日本文化のせいだと思いますが、分析や批判を「自分への攻撃」だと感じてしまいかねないこと。

そうなると、学習は辛いものになってしまいます。人格攻撃にさらされ続けてハッピーな人などいません。


なので、自分の「思考」やその結果である「答案」と「自分」をしっかりと切り離してください。

そして、客観的に自分の思考を分析する「アナリスト」の立場に徹しましょう。




率直に意見を闘わせるとき、学びは一番実り多いものになります。

鉄を叩けば鋼になるように、東大入試という異常な時空間でも生き残れる強靭な思考力を鍛えられます。



正直に言えば、わたしはそういうシビアな言葉の応酬が得意ではありません。

言われれば怨みを抱きますし、言う側にまわれば「かわいそうなこと言っちゃった…」といつまでもくよくよします。

けれども、心を鬼にして、言うべきことはきちんと言います。かつての上司たちもきっと同じ気持ちだったはずですから(全然そんなことなかったかもしれませんが…)。

指導方針 2.

対話や討論を

重視する

講義のクオリティは、

国語力向上の KSF ではない

※ KSF = Key Success Factor(成功の鍵)


昔から現代文は勉強しにくい科目といわれ、多くの受験生の頭痛の種でした。

そうした中、1990年代終盤に「現代文はセンスの科目ではない。」を標榜する講義が一世を風靡し、論理的な読解を教える授業がスタンダードになりました。

「現代文は知識の科目ではない。」なる考えが主流の現在も、大きな視点で見れば、数十年来つづく同じ流れのもとにあると理解してよいでしょう。

2002年度入試組であるわたし自身も、そのような講義に出席して「なるほど。」と刺激をうけたひとりです。そういう意味で、感謝もし、リスペクトもしています。


ですが、現在の洗練された現代文の講義が学力向上の決定打かというと、わたし個人の勉強をふりかえっても、マクロで見ても、決してそうは思えません。


実際、ネットの普及で日本中の受験生が「革命的」な講義を聴けるようになりましたが、ここ 20〜30年で東大生の国語力が高まったという類の話は聞いたことがありませんし、それどころか、センター/共通試験の平均点すら一向に上がる気配が見えないのです。

たしかに、講義のコンテンツ自体は「革命的」だったかもしれません。舌を巻くような鮮やかな解説だったと、受講生たちがしばしば口にします。

しかし、そうだとしても、教育効果が同じように「革命的」であるかといえば、それはまた別の話。事実を見れば、むしろかなり疑わしいと言わざるをえません。

講義のクオリティが低いと言いたいのではありません。講義の質はとんでもなく素晴らしいものになったのです。

それでも、学力の向上はほとんど見られなかった。あるいは、限られたものでしかなかった。

この不可解な現象は、


「国語力アップの KSF は “そこ” ではない」

ことを強烈に示唆するもの。そう見立てざるをえないのではないでしょうか。

高度な思考力の育成に

成功しているところは?


そんな古代ギリシャのようなところが本当にあるのかと思われるかもしれませんが…あります。

日本の受験業界という狭いところに視野を限定しないで、世界に目を転じれば、ちゃんとあります。


共通しているのは、対話や討論といった双方向的なコミュニケーションを、驚くほどの濃密さでくりかえしていること。


ものすごく手間のかかる教育をしているということです。


高度な思考力を育成する KSF( = 国語力を東大レベルにまで高める「成功の鍵」)はここにあると、わたしは考えています。




まずは論より証拠。わたしが理想的だと考えている高等教育機関を3つ紹介させてください。

University of Oxford

Created with Sketch.

Times Higher Education 世界1位の常連であり、英国のプライド。説明の余地のない超名門大学ですが、その教育の実態についてはあまり知られていないと思います。



この大学の教育の凄みは、なんといっても「チュートリアル」。

世界に冠たる一流教授が 1〜4人という少人数の学生に対しておこなう対話型の個別指導です。

教授からの圧は強烈でしょうが、教育効果も凄まじいものがあります。


チュートリアルの詳細は、東大教授を経てオックスフォード大学で教鞭をとっておられる苅谷剛彦先生が、著書『教え学ぶ技術 問いをいかに編集するのか』のなかで再現してくれています。(→ Amazon ページはこちら

もっと手短には、オックスブリッジ卒業生100人委員会のこちらの記事も参考になります。

また、バブル崩壊後の不良債権問題の実態を暴き、さらには銀行業界の大再編も予言して名をあげ、ゴールドマン・サックスのパートナーにまで上り詰めた「伝説のアナリスト」デービッド・アトキンソンさんも、同大で日本学を修めた卒業生です。

氏は著書『新・観光立国論』の冒頭で、イギリスの議論の文化をオックスフォード大学で徹底的に叩き込まれたと述懐しています(→ Amazon ページはこちら)。

裏千家の茶名「宗真」をおもちなほどに日本贔屓のアトキンソンさんは、観光立国こそが人口減少、超高齢化社会に直進する日本経済の未来だとして、提言を続けておられます。

その分析や論理の明晰さは、舌鋒の鋭さとあいまって、まさに英国の知性の面目躍如といった感があります。

毀誉褒貶のある方ではありますが、すぐれた知性が切り取る世界を垣間見たい受験生は、彼の論の進め方に刺激をうけるに違いありません。東洋経済オンラインなどで定期的に発信しておられます(→ こちらです )。

Minerva University

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歴史の浅い新興大学ですが、すでに合格率は 2%未満。ハーバード大学やスタンフォード大学を辞退して進学した前例もある、知る人ぞ知る超実力校です。

群を抜いた教育成果をあげることでも知られており、マッキンゼー、グーグル、ゴールドマン・サックスなどがミネルバ大学のキャリア・オフィスを支援しているのはその確かな証と言えそうです。

相当なボリュームの文献事前予習を前提とし、18人以下の少数精鋭による討論型の授業を展開…というのは、欧米のトップ校の伝統にならうもの。

この大学の真のオリジナリティは、


・世界7都市を巡って現地の企業や官公庁と共同プロジェクトを実施する PBL

・完全オンラインの討論をすべて録画/分析し、学生の発言にフィードバック



という点にあります。

ミネルバ大学への関心はとくにビジネス界から強く寄せられているようで、すでに紹介本もでています。余談ですが、著者はコンサル時代の同僚でした(→ Amazon ページはこちら)。

また、本の内容を抜粋した記事は こちら になります。

東大の吉見俊哉教授による「日本人が知らぬ超難関『ミネルバ大学』破壊的凄み 世界のエリートが熱視線、ハーバード蹴る人も」なる論考も公開されています(→ こちら)。

Booz Allen Hamilton

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こちらは、わたしがかつて在籍していた戦略コンサルティング・ファーム。

もちろん、一般的な意味での教育機関ではありません。

ですが、新卒社員の相当数がビジネス・パーソンとしての成長を目的にこの業界に飛び込んでくる。そして実際に成果をあげている。このことを思えば、ある種の教育の場として機能しているとみなしても、あながち間違いではないでしょう。

実際、年次の近い当時の同僚たちの多くが、いまや各方面で華々しく活躍しています。5人いた同期のひとりは、CXO として経営参画している企業が最近上場し、時価総額は 3,500億円を超えています。


教育という観点で新人時代をふりかえると、まさに東大が 2006年度入試で出題した文章そのままに、あれは「徒弟制」の教育だったのだと思い至ります。

※ 東大入試の問題文は こちら です



上司(後に彼も起業し上場しました)と 2人、北から南まで日本列島を縦断しながら深夜まで PC を並べて仕事をした日々は、本当に濃密な修行の時間でした。

・インタビュー・ガイドを作っては「背景にどういう仮説があるのかまったく見えない。考え直せ」と突き返され、

・ミーティング・メモを起こせば「ただの文字起こしだったらバイトでもできる。こんな構造化されてないメモ、誰に読ませるつもりなんだ。しっかり頭を整理しろ」、

・徹夜で作ったスライドには「こんなものなんの意味もなさない。」「apple-to-apple になってない資料は、読んでて気持ち悪い」、

・クライアントとのミーティングの後には「さっきのあの発言はどういう意図だったんだ。俺たちは詰め将棋をしてるんだ。わかるか?」

厳しい叱責でボコボコにされたあと、鮨屋でやけ酒を胃袋に流し込んだ夜もありましたが、10年以上経った今、あれは恵まれた環境だったんだなあと思えます。

自分のした仕事に対して、自分よりもはるかに経験豊富な憧れのコンサルタントが、秒速でフィードバックしてくれるのですから。

今でも、東大生から一番人気の就職先は MBB に代表される外資系戦略コンサルだそうです(→ こちらの記事で知りました)。

心身ともにハードな生活を思うと安易には勧められませんが、その対価として、ビジネス戦闘力はめざましく高まるでしょう。



そして、見逃したくないのが、一人前のコンサルタント1人を育てるのに先達がどれだけの手間と時間を注いでいるかということ。


この事実が、「上質なコンテンツをコピーして大量頒布することが正義」という昨今の教育の風潮に対する強烈なアンチ・テーゼに思えるのです。

…いかがだったでしょうか。

長くなったので、いったんここまでの話をまとめますね。



「この講義を聴けば東大合格!」というのは、わたしには「この本を読めば、あなたも一流研究者/一流コンサルタントの仲間入り!」と言っているのと同じように聞こえます。

たしかにビジネスの世界にも必読書とされるものはあります(→ 山口周さんによれば、こちらの記事にある 71冊)が、当然のことながら、読めば成功するというものではありません。


本の内容を血肉にするために必死に努力をして、挑戦し、失敗し、フィードバックをうけて改善して、知的戦闘力を高めていく。その先に成功をつかむのでしょう。




受験生にとっても状況は変わりません。

過去問に挑み、はね返され、解説を理解する…ここまででようやく道半ば。深い学びが始まるのは、ここからです。



自分の思考を見つめて、課題を見つける。改善の方針を見極めて、練習に明け暮れる。

先達はその学びの試金石となって、いいものには「いいね」、ダメなものには「ダメ」と言ってあげる。



古典的で、非効率的で、人間的な学び。


古今東西かわることのない「成功の鍵」はここにあると思うのです。